『鶏口牛後(けいこうぎゅうご)』ということわざがあります。
・・・大きな集団の末端にいるよりも、小さな集団のトップに立つほうがよい、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいという意味。(Google検索調べ)
私はわりと昔からこれ大事だなと思っていて、自分がどう外的に評価されるかは環境や集団による、という考えを持っています。
有象無象に埋もれるより、小さな組織でも上位層にいた方が自己効力感とか、ある種の優越感などを感じて生きていけるので、そっちの方が人生楽しいかなと思っているタイプです。
つまり、”自分の花を綺麗に咲かせられる場所を選べ”とも言い換えられるかもしれません。
何の話かと言えば、スポ少の話です。笑
また?って思われちゃったかもですが、我が娘、同じ学年の人数がたくさんいることもあって、レギュラーにはなれず。でも、6年生が実質引退した新体制で、同じ学年の子の8割はレギュラーという状態。
つまり残りの2割になっちゃった、という顛末です。
仕方ない、仕方ない。元々運動にセンスがあるタイプには見えないし、親がやっていたわけでもない。始めてからようやく1年経つかというところ。
でもモヤモヤするーーー!!!これが正直な気持ちでした。子どものことなのに、私が悔しがってどうするんだ。もっと自他境界線を引かなくちゃ。
でも心は素直なので、心臓が痛くなってしまいました。なんでだろう。
”場所”選びという観点でいえば、私が間違えたのかもしれません。
そんなにバスケを熱望していたわけではなかったのに、スポ少を選んでしまった。
週1回とかの「習い事」バスケにすればよかった。そしたら親の負担感も、こんな焦燥感も感じなくてよかったのに。レギュラー落ちなんていう競争に巻き込まれなくてよかったのに。
このままだと6年生になるまでレギュラー枠に入れる日は来なさそうだ、と親にはわかります。
その間にも同じ学年の子と実践経験値の差がどんどんついていく。この状態はつまり、『牛後』です。
これがあと少なくとも2年続く。違う場所ならこの子はもっと輝ける。それは別にバスケである必要もないんです。
子どもが楽しければそれでいい?レギュラーじゃなくたって学ぶことはたくさんある!確かにその通りなんだけど、いやいや、小学生だとやはり親の時間や労力、いわゆるサンクコストっていうのでしょうか。かかります。辛い。
またこのループに戻ってきちゃいました。親って大変ですね。
「勝てる場所」に移るべきなのか。
でも、もう少し悔しいとか、頑張ってうまくなりたいとか、それに向かって努力する姿勢とか、そういうのを持ってもらいたいという気持ちもあります。まぁ、いくら○○してもらいたいと思ったって、子どもはそっちのけですけどね。
勝てる場所も持ちながら、あがく場所も両方あってもいいのかも・・・?
私が気持ちの折り合いをつけるだけ。
模索は続きます。
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